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2003年2月20日toumei7.gif (817 バイト)

2006年1月11日 逝去されました。
101歳と325日の人生をまっとうされました。ご冥福をお祈りいたします。
■99歳の冒険、三浦敬三(みうらけいぞう)さんが氷河走破。toumei7.gif (817 バイト)

プロスキーヤーであり、冒険家でもある、三浦雄一郎さんの父親、敬三さん(99)がモンブラン山系最長のフランス・バレーブランシュ氷河を滑り降りるという6度目の冒険スキーにチャレンジし、2003年2月19日、見事成功しました。

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モンブランの氷河をさっそうと滑り降りる三浦敬三さん(99)は現役のスキーインストラクターです。一緒に滑ったのは息子の雄一郎さん(70)と孫の雄大さん(37)。

三浦さんは大学1年の時に、初めて八甲田山で山スキーを体験し、その魅力に取りつかれました。60歳になってから海外遠征を始めるなど、スキーへの挑戦は、年齢を重ねてからも、ますます盛んになり今回のチャレンジとなりました。

三浦親子3代が挑んだのは、氷河バレー・ブランシュの24キロ、モンブランで最も長い氷河であるばかりか、亀裂に落ちて命を落とすスキーヤーも居るほどの難所です。スキー歴78年という敬三さんが「白寿の記念に」と9年振りに自ら選んだ場所は、過去5度滑降を成功させたこの場所でした。

三浦敬三さんは旧北海道帝国大学在学中にスキーに出会い、卒業後就職した青森営林署でもスキー部に所属。昭和10年頃に制作された八甲田山の記録フィルムには斜面を先頭で滑り降りる三浦さんの姿が残っています。当時は長距離やジャンプの選手として活躍していました。海外遠征を始めたのは60歳になってからのことです。

10年前、妻を亡くしてから一軒家で一人暮らし。料理は自分で作るそうです。「買い物もしなくちゃいけない。次々と用事が重なってくるそうすることが、ボケの予防になる」と話す三浦敬三さんの両耳には補聴器。歯もすでに総入れ歯ですが、食事は玄米食。また、圧力鍋を使うと魚の骨まで柔らかくなるので、骨まで全部食べる。あとは、納豆もよく食べるそうです。そして、三浦さんが健康の元だというのが手作りのスペシャルドリンク(ゴマ、黄粉、てんさい糖、殻ごと酢に溶かした酢たまご、ヨーグルト、牛乳を混ぜたもの)で、毎食後飲みます。そのお陰で、現在でもシミひとつありません。
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ただ、掃除が大の苦手のため、月に1度やってくる、娘に任せています。

現在も、年間約120日はスキーをしている三浦さん。オフシーズン中も次のシーズンに向けてトレーニングを欠かしません。三浦さんは、(1)首の運動、(2)口開け運動、(3)呼吸法、(4)体操、(5)ゴムチューブ体操、(6)スキー体操、(7)深呼吸、(8)ウォーキングの順に、トレーニングを行います。
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toumei7.gif (817 バイト)(2)口開け運動 = 顔の張りを出すための運動。

ウォーキングは毎朝4キロ。体が温まってくれば、走り出します。いつもタイムを短縮する目標を持ち続け実行しています。口開け運動は、口を開けて舌を出す。これをやると、胸、肩、首、顔面、頭の筋肉までほぐれ、やったあとに非常にさっぱりすると言う。

いよいよ挑戦の本番。スタート地点の標高は富士山より高い3800メートル。長さ24キロ、標高差1900メートルの氷河を何時間もかけて滑り降りるという長丁場。コースのコンディションも厳しく、何度もコントロールを失います。99歳という年齢を考えれば、転倒による骨折などで、そのまま寝たきりになってしまう危険と隣り合わせのチャレンジです。
 
1キロにわたって危険なクレバスが待ち受ける最大の難所は孫の雄大さんに背負われてクリア。スタートから4時間後、敬三さんは無事ゴール地点に到達。99歳の見事な大冒険でした。
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■「うれしいが随分疲れた」
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toumei7.gif (817 バイト)氷河滑降の三浦敬三さん、滑り終えた感想をこう語った。


「けがもなく滑ることができ、目標を果たせてとてもうれしい。初めて家族といっしょにこのコースを滑ることができて感無量だが、随分疲れた。」

敬三さんらは一家3代でエギュー・ド・ミディ(3842メートル)の頂上付近からこの氷河を滑り降りたもので、現地では滑降の際、500人以上のスキーヤーが敬三さんらの快挙を見ようとコースに出ていた。敬三さんらが追い越して行くたび、エールをおくったという。

クレバス(氷河の割れ目)の状況が悪い所で、孫の雄大さん(37)に背負ってもらったことが少し気にかかったようだ。

雄大さんは「この距離を99歳で滑ることができるなんて信じられない。世界一の祖父です」と感激した様子。長男の雄一郎さんは「世界最高の景色の中で父と息子とともに滑ることができ、本当に幸せだ」と語った。
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■三浦敬三さん(2006年現在 101歳)のプロフィール

1904年(明治 37年) 2月15日 青森市生まれ。現在は東京在住。2006年1月11日逝去。
       
         青中、北大農学部林学実科卒業。スキーの普及に努め、豪快な八甲田の山スキーを
         全国に紹介した。東奥日報社主催「東奥美術展」写真の部で三年連続特選、イタリ
         アの国際山岳写真ビエンナーレ展入賞。日本山岳写真協会名誉会員。スキー技術の
         探究でも知られ、「雪質とクリスチャニア」「回転技術の本質と実際」「ツアース
         キーへの招待」などの著書がある。

         まだ登山やスキーが一般的ではない時代に、スキーを駆使して八甲田の山々を歩き
         回り、「八甲田の開拓者」「八甲田の主」と言われた。


1924年      東奥日報社主催の「八甲田、十和田縦走スキーツアー」に参加。
(大正 13年)    抜けるような青空に光り輝く樹氷の群れ。こつ然と現れた神秘の世界に、八甲田の
         運命的な出会いを感じる。

1926年 ( 22歳) 北海道帝国大学農学部卒業後、青森営林局に勤務。
         営林局の「青森林友スキー部」ではジャンプ選手や監督として活躍、全日本選手権
         の常勝チームヘと育て上げた。

1955年 ( 51歳) 営林局を退職。

1964年 ( 60歳) 初めての海外遠征(イタリア)。

1974年 ( 70歳) エベレストのシャングリ氷河滑降。

1981年 ( 77歳) キリマンジャロ頂上噴火口を滑降。

1985年 ( 81歳) シャモニー・ツェルマット間90キロ踏破。

1992年 ( 88歳) スイス氷河地帯オートルート完全踏破。

1994年 ( 90歳) モンブラン・バレーブランシュ 5度目の滑降。

1999年 ( 95歳) 妻を亡くし、ひとり暮らしが始まる。

2003年 ( 99歳) モンブラン・バレーブランシュ 6度目の滑降。

2006年 (101歳) 1月11日 逝去。101歳と325日の人生をまっとうされました。

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